要旨
本論文では、エドワード・バーネイズの「プロパガンダ」の核心的主張を出発点として、現代のソーシャルメディア環境におけるプロパガンダの進化と変容を分析する。バーネイズが提唱した「世論操作は民主主義の必要な一部」という考え方が、デジタル時代においてどのように実践され、その危険性が増大しているかを考察する。さらに、組織的なプロパガンダに対抗するために個人および社会が採用すべき方策として、メディアリテラシー教育の強化、情報源の多角的評価、共同規制アプローチの採用、そして市民社会の積極的関与について論じる。最後に、プロパガンダに対抗しながらも民主主義の価値を守るための教育、政策、個人の意識変革の重要性を強調する。
1. はじめに:バーネイズのプロパガンダ理論とその現代的意義
エドワード・バーネイズは1928年に出版した著書「プロパガンダ」において、「世論操作は民主主義の必要な一部である」という革新的かつ挑発的な主張を行った[1]。心理学者ジークムント・フロイトの甥であったバーネイズは、叔父の精神分析学とル・ボンやトロッターの群集心理学を応用し、大衆操作のための科学的なアプローチを開発した[2]。彼は「プロパガンダという技術をプロパガンダする」ことを明確な目的として、この著書を世に送り出したのである。
バーネイズの理論の本質は、民主主義社会において大衆は「賢明な専制」による導きを必要としており、専門家やエリートが情報を操作することで社会秩序を維持すべきだという考えにあった[3]。彼は表向きには「広報(PR: Public Relations)」という用語を好んだが、その実践は実質的に民衆の感情や欲望に働きかけ、特定の方向へ誘導するためのプロパガンダであった。
バーネイズの考え方は、当時の新興メディア(ラジオや新聞の普及)とアメリカの消費社会の発展を背景に大きな影響力を持った。彼の手法は商品販売から政治キャンペーン、さらには戦時プロパガンダまで幅広く応用された。第一次世界大戦中の経験から、バーネイズは「いかに多くの大衆が民主主義のスローガンに揺さぶられたか」を目の当たりにし、この手法が平時においても有効であると確信するに至ったのである[4]。
現代において、バーネイズの遺産は私たちの社会に深く根付いている。マーケティング、広報、政治コミュニケーションの分野におけるプロパガンダ的手法は、より洗練され、科学的になった。しかしながら、ソーシャルメディアの台頭により、プロパガンダの実践は根本的な変容を遂げることとなる。次節では、この変容について詳しく考察する。
2. ソーシャルメディア時代におけるプロパガンダの変容
2.1 プロパガンダの民主化と分散化
インターネットとソーシャルメディアの普及は、プロパガンダの実践に革命をもたらした。バーネイズの時代、プロパガンダは主に政府や大企業、メディア企業といった資源を持つ組織が実施するものであった。しかし現代では、個人でもソーシャルメディアを通じて広範囲に情報を拡散できるようになり、プロパガンダの「民主化」が進んでいる[5]。
この変化により、プロパガンダの送り手と受け手の境界が曖昧になった。通常の市民がプロパガンダの「拡散者」となり、時には意図せずして虚偽情報やイデオロギー的メッセージの伝播に寄与している。オックスフォード大学の調査によれば、2019年時点で世界70カ国において、ソーシャルメディアを介した組織的な世論操作が行われており、この数字は2017年の28カ国から大幅に増加している[6]。
2.2 アルゴリズムによる増幅と「エコーチェンバー」の形成
現代のプロパガンダの特徴的な側面は、ソーシャルメディアプラットフォームのアルゴリズムによる増幅効果である。これらのアルゴリズムは「ユーザーに適したコンテンツを届けることで利用度を上げたい」という商業的目的で設計されているが、結果として類似した意見や情報に人々を囲い込む「エコーチェンバー」を生み出している[7]。
この現象により、人々は「自分に都合のよい情報を信じ、それを仲間と共有し、仲間が関連情報を投稿すると自分も反応するという連鎖」に陥りやすくなっている[8]。特に政治的な話題においては、このエコーチェンバー効果が社会の分断を深刻化させる原因となっている。
2.3 標的型プロパガンダの精緻化
デジタル技術の発展により、プロパガンダはより精緻化され、ターゲットを絞った手法へと進化している。ビッグデータと機械学習を活用することで、プロパガンダの送り手は特定の人口統計グループや心理的特性を持つ個人に合わせたメッセージを作成できるようになった。
例えば、2016年のアメリカ大統領選挙では、ケンブリッジ・アナリティカ社が数百万人のFacebookユーザーの個人データを活用して、有権者の心理プロファイルに合わせた政治的メッセージを配信したことが明らかになっている[9]。このような「マイクロターゲティング」技術は、バーネイズが想像した以上に効果的な世論操作を可能にしている。
2.4 生成AIの台頭によるプロパガンダの新たな次元
最近の動向としては、生成AIの台頭がプロパガンダにさらなる変革をもたらしている。マイクロソフトの調査によれば、中国の工作員とみられる偽アカウントが生成AIを使って目を引く画像を作成し、米国の世論を誘導しようとする試みが確認されている[10]。
生成AIはテキスト、画像、音声、動画など様々なメディアを自動生成できるため、大規模で説得力のあるプロパガンダキャンペーンをより少ないリソースで実施することが可能になる。特に「ディープフェイク」技術は、実在する人物の発言や行動を捏造した動画を作成できるため、真実と虚構の境界をさらに曖昧にする危険性を持っている。
3. 現代プロパガンダの民主主義に対する脅威
3.1 情報環境の汚染と民主的議論の劣化
プロパガンダの広範な普及は、健全な民主的議論に必要な共通の事実基盤を侵食している。意図的な虚偽情報や誤情報が拡散することで、市民が正確な情報に基づいて政治的判断を下すことが困難になっている。
「表現の自由を促進するというインターネットの強みは、インターネットがひとつの権力に縛られない性質に基づいている」[11]。しかし、虚偽情報の氾濫によってこの強みが逆に弱みに転じる危険性がある。市民が情報の真偽を見極める能力を持たなければ、自由な情報流通は民主主義の健全な機能を阻害する要因となる。
3.2 社会の分断の深刻化
プロパガンダは往々にして社会の分断を利用し、さらに拡大する。特定のグループに対する恐怖や不信感を煽るメッセージは、社会の結束を弱め、民主的合意形成を困難にする。
現代のプロパガンダは感情的反応を引き出すことに焦点を当てており、理性的な議論よりも感情的な反応に訴えかける傾向がある。この結果、政治的対話は二極化し、妥協や協力の余地が狭まっていく。「言論の自由やインターネット上の民主主義の保持の観点から、政府による規制は適切でないとする意見」と「過激な言論やフェイクニュースが蔓延するインターネットコミュニティに疲弊したユーザーが法規制やプラットフォーム運営者による対策を求める声」の間で緊張関係が生じている状況である[12]。
3.3 プラットフォームの集中化と検閲のリスク
ソーシャルメディアプラットフォームは、コンテンツモデレーションを通じて情報環境に大きな影響力を持っている。しかし、「行き過ぎた規制により表現の自由を損なえば、『検閲』のような状態になり、窮屈に感じたユーザーがコミュニティを去ってしまう」恐れがある[13]。
民主主義擁護団体Freedom Houseの調査によれば、米国を含む少なくとも24カ国が、ソーシャルメディアプラットフォームのコンテンツ制御方法を決定する新しい法律やルールを作成しており、これらには政治的およびジャーナリズム的検閲などの極端な規則も含まれているという[14]。
プラットフォーム企業と政府の連携による情報統制は、バーネイズが提唱したような「賢明な専制」の現代版ともいえるが、これが民主主義の原則に反する危険性を持つことは明らかである。
4. プロパガンダに対抗するための個人的・社会的方策
4.1 メディアリテラシー教育の強化
プロパガンダの脅威に対抗する最も効果的な手段の一つは、市民のメディアリテラシーを向上させることである。メディア情報リテラシーとは「メディアメッセージをクリティカルに読み解く能力」と「情報を評価する能力」を統合した概念である[15]。
欧米諸国では法律でメディアリテラシー教育を義務化する動きが進んでいる。特にEUは2018年に法改正をして「すべての加盟国にメディアリテラシー教育を行うことと、その成果報告を義務づけた」ことが注目される。これらの民主主義国では、「国が情報統制をするのではなく、教育やメディアの自主的な取り組みにより、偽情報やプロパガンダに対抗する力を市民が持つことを最優先課題」としている[16]。
実践的なツールとして、「さぎしかな」リストと呼ばれる5つの問い(「作者は誰か」「どんな表現技術が使われているか」「他の視聴者はどう解釈しているか」「どんな価値観が表現または排除されているか」「なぜこのメッセージは送られたのか」)を使って情報を分析する方法が効果的である[17]。
4.2 情報源の多角的評価と比較
「インターネット上の情報を集めて比較する習慣」が重要である。Webの仕組みでは、自分が過去に検索した情報や閲覧したページに紐づいた情報が優先的に送られてくるため情報が偏る危険性がある。そのため、一つのことを調べる際に、できるだけ多くの情報源から情報を収集する必要がある[18]。
複数の情報源からの情報を照合し、一次資料に当たることで、プロパガンダによる歪曲や操作を見抜く能力が高まる。また、自分の意見と異なる観点からの情報にも意図的に触れることで、エコーチェンバー効果を軽減することができる。
4.3 共同規制アプローチの採用
政府によるトップダウンの規制と企業の自主規制のバランスを取る「共同規制」のアプローチが有効である。EU諸国では「政府が直接規制を行うのではなく、民間企業の自主規制を組み合わせた形でルールを設ける手法」である「共同規制」を採用している。完全な国家統制ではなく、産業界と協力して問題に対処するアプローチである[19]。
重要なのは、「被害者救済と表現の自由という重要な権利・利益のバランスに配慮しつつ、プラットフォーム事業者等における円滑な対応が促進されるような環境整備」を行うことである[20]。
また、政府は「ある言論カテゴリーを禁止する前に、そのカテゴリーを例外的に禁止する理由を説明し、その境界を定める規則を明確かつ予測可能にする」べきである。「コンテンツにコミュニティスタンダード違反のフラグが立てられた場合、ユーザーに通知し、異議申し立ての機会を与える」ような透明性のある仕組みを促進することが重要である[21]。
4.4 市民社会の積極的関与
最終的に、プロパガンダへの対抗は市民社会の積極的な関与に依存している。独立したファクトチェック組織の支援、メディアの多元性の確保、そして批判的思考を奨励する文化の醸成が不可欠である。
「格差が拡大し分断が生じやすい現代において、民主主義を維持していくためには他者の考えを知り理解しようとすることがとても大事」である[22]。このためには、個人のメディアリテラシー向上と、政府による適切な法整備・教育施策の両面からのアプローチが必要となる。
5. 結論:プロパガンダを超えた民主主義の未来
エドワード・バーネイズが「プロパガンダ」を出版してから約100年が経過した現在、私たちはデジタル技術がもたらした新たなプロパガンダの時代に生きている。バーネイズが提唱した「世論操作は民主主義の必要な一部である」という考え方は、今日の情報環境においてより危険な形で実現されている。
ソーシャルメディアとアルゴリズム、ビッグデータと生成AIによって強化されたプロパガンダは、民主主義の根幹を脅かす存在となっている。しかし同時に、これらの脅威に対抗するための手段も発展している。メディアリテラシー教育、多角的な情報評価、適切な規制、そして市民社会の関与によって、プロパガンダの害悪を最小限に抑えることは可能である。
最終的に、バーネイズが主張した「賢明な専制」による大衆操作という考え方自体を乗り越え、市民一人ひとりが批判的思考を持って情報に接する社会を構築することが、民主主義の健全な発展のために不可欠である。プロパガンダへの対抗は単なる技術的・法的対応にとどまらず、民主主義の価値に対する社会全体のコミットメントを強化する過程でもある。
「プロパガンダという技術をプロパガンダする」というバーネイズの原点に立ち返るならば、私たちは今こそ「批判的思考と市民参加を促進する」という対抗的なプロパガンダを展開すべき時なのかもしれない。
参考文献
[1] バーネイズ, E.(2010). プロパガンダ(中田安彦, 訳). 成甲書房.
[2] エドワード・バーネイズ – Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/エドワード・バーネイズ
[3] 同上
[4] 同上
[5] プロパガンダ(2)プロパガンダとエドワード・バーネイズ – 歴史の世界を綴る. https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/2021/02/11/110449
[6] 世界70カ国でSNSを介した組織的な世論操作――誰が行っているのか? 何を流布しているのか?【海外セキュリティ】 – INTERNET Watch. https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/security/1216653.html
[7] SNSのアルゴリズムをどのように味方につけるのか|SNS動画時代を生き抜こう<第2回>|講談社C-station. https://c.kodansha.net/news/detail/40444/
[8] 「「情報操作からSNSを守れ」 」第85号 – NII Today / 国立情報学研究所. https://www.nii.ac.jp/today/85/4.html
[9] サイバープロパガンダの基礎知識 |. https://blog.trendmicro.co.jp/archives/16114
[10] 中国のSNS情報操作、米世論誘導狙い Microsoft調査 – 日本経済新聞. https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN08D640Y3A900C2000000/
[11] 有害コンテンツは中央集権で”検閲”すべきなのか? テック企業の思惑はユーザーの権利を脅かす | WIRED.jp. https://wired.jp/2019/06/18/platforms-centralized-censorship/
[12] 総務省|令和元年版 情報通信白書|政府によるルール整備等の動き. https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114530.html
[13] 不適切なネット投稿にどう対応すべきか。コンテンツモデレーションで、企業のブランド価値とCXを守るには? | Transformation SHOWCASE | Powered by dentsu Japan. https://transformation-showcase.com/articles/216/
[14] 合計24カ国がソーシャルメディアを訴え、プラットフォーム上のコンテンツを管理していると伝えられている。 https://voi.id/ja/teknologi/88942/read
[15] 世界に後れを取る「メディア情報リテラシー教育」今始めないとマズい訳 | 東洋経済education×ICT. https://toyokeizai.net/articles/-/610216
[16] 同上
[17] 同上
[18] 情報(メディア)リテラシー教育とは?必要性や大学における教育方法を解説 | 【キャリエデュ】日経HRのキャリア教育・就職支援情報サイト. https://career-edu.nikkeihr.co.jp/category01/medialiteracy.html
[19] 総務省|令和元年版 情報通信白書|政府によるルール整備等の動き. https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114530.html
[20] 総務省|インターネット上の違法・有害情報に対する対応(情報流通プラットフォーム対処法). https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/ihoyugai.html
[21] ソーシャルメディアのコンテンツ・モデレーションは破綻している » p2ptk[.]org. https://p2ptk.org/freedom-of-speech/2018
[22] 民主主義を守るために。世論調査結果を検証し、メディアの在り方を考える|上智大学. https://www.sophia.ac.jp/jpn/article/feature/the-knot/the-knot-0004/