日本の薬害事件について②

投稿者: | 2023年12月4日

薬害事件、このブログのために調べますと、まあ出るわ出るわですね。一つずつ紹介すると大変なことになりそうなので、ざっとご紹介します。厚生省の対応にご注目ください。

1956年 ペニシリンショック死事件

 感染症対策として国内で多く用いられていたペニシリン。ペニシリンは従来なら死に至るような病の治療も可能になった有効で安全な薬とされていた。

1955年には厚生省に40例余りのペニシリンショックに関する症例が大学などから報告されていたが安全対策に生かされていなかった

 1953年から1957年までに1276人にショック発現、124人死亡


1961年 サリドマイド 事件

 1957年に発売、西ドイツグリュネンタール社製 鎮痛・催眠剤サリドマイド(夢の睡眠薬)世界十数か国に輸出される。

日本では「イソミン」として販売。一部は胃腸薬にも配合。妊娠中につわり対策として服用。

手足や耳に奇形(一部欠損)や内臓障害などの子供が生まれた。

・1961年、西ドイツのレンツ博士が副作用として催奇形を警告していたが、厚生省は科学的根拠に乏しいとの見解を示した。

被害児は世界で数千人、日本約千人(認定数309人 。)


1965年 アンプル入り風邪薬ショック死事件

1965年2月 アンプル入り風邪薬が原因と思われるショック死自己が報道され、大きな社会問題となる。1959年から1965年で38人死亡。

・1965年3月 厚生省は製品の回収等を要請、日薬連は回収等に伴う経済的損失の救済を要望、一部の薬局等では在庫品の販売は継続され、ショック死はなくならず


1967年 ストレプトマイシン等による聴力被害

ストレプトマイシンは、1944年に米国のワックスマンが放線菌から抽出し た最初の抗結核性抗生物質。副作用は、めまい、耳鳴、不可逆性の第8脳神経障害による聴力障害(難聴等)


1970年 スモン薬害

スモンとは亜急性脊髄視神経症の略称。下痢や腹痛などの消化器症状に引き続いて、下肢などの激しい知覚障害、激痛、運動麻痺、などが発現、ときに視覚障害、膀胱・発汗障害、性機能障害など全身に影響が及ぶ難治性疾患

1955年ごろからスモンが散発。(下痢、腹痛等の消化器症状に続いて下肢等の激しい知覚障害・激痛)、1967年-1968年頃に大量発生、当時は原因不明の奇病とも云われた。

1970年には新聞などが京都大学井上助教授がスモンのウイルス感染説を報道、スモン患者差別や衝撃を与え、多数の自殺者も出る。その後、整腸剤キノホルムが原因とされる。被害者約1万2000人


1971年 クロロキン網膜症事件

1934年ドイツのバイエル社が開発したが、毒性が強いため開発中止。

1958年から日本国内で腎炎の特効薬として、関節リュウマチ、気管支ぜんそく、てんかんへの適応を開始。

1961年 大量販売開始後、網膜症発生。

1962年 米国FDAは製薬会社にクロロキンの有害作用(網膜症)の警告書配布を指示。

1965年 クロロキンを自ら服用していた厚生省課長が米国におけるクロロキン網膜症の副作用を知り、服用中止していたことが後の裁判で明らかになった。

1969年 厚生省がクロロキン網膜症の添付文書への記載を指示。

1971年 クロロキン網膜症が社会問題化、被害者1,000から2,000人

1976年 クロロキンは腎炎に有効性なしと判断され、日本薬局方から削除


とまあ、このように薬害の歴史は続いていおるのであります。厚労官僚の隠蔽体質や販売中止に際して利益団体からチャチャが入るあたりが今と何も変わっていない感じがします。クロロキン事件なんて最悪ですよね。薬害シリーズは次回でいったん終わります。

引用資料 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です